Text 28 Dec メディアは批判するだけでなく育てるもの

『人間を幸福にしない日本というシステム』 より引用

要は北風と大陽ってことか、自分も反省。

私が言っているのは、あなたの意見をいまある投書欄に載せることではない。それは、特定の問題だけにしぼって運動するグループのやりかただ。みなさんがすべきなのは、世に知られることではなく、編集者たちの心のもちようを変えることなのだ。

日本の大新聞の編集者に手紙を書くとき、かならず指摘すべきことがいくつかある。なかでも重要だと思われる点をまとめておこう。

ま ず、何度も指摘してはっきりさせるべきなのは、社会秩序の維持はジャーナリストや編集者の任務ではないということだ。これは、日本の新聞人がひどく勘違い している点だ。彼らは、平和と社会の調和を維持するという儒教的な任務を、官僚とともに自分たちも受け継いでいると思っているらしい。だが、彼らの任務は そんなことではなく、自己の能力と手段のかぎりをつくして、市民の知るべきことをできるだけ正確かつ完全に読者に伝えることなのだ。社説のなかで、日本の 政治経済システムのタテマエばかりを習慣的に紹介しつづけないよう、彼らはみずからを戒めるべきだ。

日本の新聞を注意深く読んでみればわか ることだが、新聞は実はほとんど何も吟味していない。誰かを批判したり、何かを軽蔑したりはする。だが、軽蔑の対象は最初から明らかで、読まなくてもわか るほどだ。これは吟味ではない。権力構造の吟味を欠いた政治分析は本当の分析ではなく、したがって真摯な読者を愚弄するものである。このことを、できるだ け多くの人が、新聞をつくる人たちに繰り返し思いださせる必要がある。

大新聞の編集者が社会問題や社会の悪弊を取り上げたら、そのときこそ市民が編集者を励まし、問題を徹底的に追及させる絶好の機会だ。

日 本の新聞は、社会環境をいくつか改善するのに役立ってきた。なかでも環境汚染問題が有名だ―もっとも、汚染の兆候があらわれてから新聞が騒ぎだすまでにか なりの時間がかかったが。ほかに思いだされる例としては、サラ金による被害やいじめの問題があった。世にまかりとおる非道をメディアの人間がさかんに取り 上げるこのようなときこそ、市民チームは彼らを励まして、より広い視野のなかで問題をとらえるようにさせなければならない。読者には、問題の原因と結果を されにくわしく知る権利がある。

(中略 (“政争の話ばっかり書かずに、真の権力関係の探求が大規模かつ忠実に書かれるように強く求めろ”とか、”オフレコを可能にする検閲システムである記者ク ラブ制度が肝心の情報を奪ってしまって日本で何がおこっているかわかりにくくしてしまう、という事実を自分たちが認識していることを編集者にわからせろ” という意見など。))

日本で権力がどのように行使されているかを吟味する仕事は、週刊誌のほうがすぐれていることが多い。それに、週刊誌は 重要な事実をよくすっぱぬく。しかし、欠点として、記事の娯楽性にかたよりすぎる傾向がある。スキャンダルやセンセーショナルな話題に頼るため、真の情報 なのか誇張やでっちあげなのか、区別がつかない場合が多い。

日本に市民社会を築きたいと思う市民がここでなすべきことは、わりと簡単なこと だ。日本人の暮らしに大きな変化をもたらしている人物や組織に、新聞が定期的に質問し、彼らが何をしているか、なぜそれをしているかを明らかにさせるべ き、と編集者たちに主張しつづけるのである。権力者が自分の行動を正当化しようとして機械的に提供する皮相な説明を、いわば拡大鏡で調べるようにして知的 に吟味するよう、編集者にうながすのである。言いかえれば、日本の真の権力者にに 説明責任 ( アカウンタビリティ ) をはたさせるのは編集者の責務であると、市民が繰り返し編集者に思い起こさせるべきなのだ。

さらに市民は、偽りの現実をのさ ばらせ、日本の権力システムの核心について報道しない編集の態度を非難しなければならない。そのためには、編集者に手紙を書けばいい。もう一度言うが、こ の目的は手紙を新聞に載せることではなく、日本の民主主義実現のために編集者に協力を要請することだ。率直で理性的な短い手紙が効果的な場合が多い。

志を同じくする日本中の個人やチームが協力すれば、民主主義のための基本的な任務を思い出させる手紙を、編集者たちは読者から絶えず受け取ることになるだろう。


Design crafted by Prashanth Kamalakanthan. Powered by Tumblr.